学生時代から没頭した執筆活動の上で、活用出来ている事を記事にしました。
はじめに
学生時代、皆さんは5教科で何が得意でしたか?好きな教科はありましたか?
私は、得意教科と言われたらまいってしまうくらい、めっぽう全部中の下でした。
その中で好きな教科が国語でした。
もともと物語が大好きで、授業の中で扱われるときは心が躍りました。
現代文も古文、漢文も授業を聞くのが楽しかったのを覚えています。
それが身についたかどうかは別です。
今回は、そんな中の下の私が選ぶ『小説を書く人のための国語』についてお話していきます。
国語って何を学ぶの?
「何を当たり前のことを聞いているんだろう?」
そう思った人は少なからずいると思います。
そして多くの人から、「必須科目だから」「テストや内申を上げるため」なんて現金な言葉が返ってきます。
学生時代の私にとっては理数系や英語、社会は緒と嫌煙気味の科目でした。
新しい単語に、新しい数字の羅列、公式……授業のたびに心がボキボキ音を立てていました。
一方で国語に対してはこんなに楽しい科目がどこにある、と思っていました。
では国語ってそもそも何を学ぶの?という話です。
国語とは日本語のさらに応用・発展した科目であり、現代日本語に至るまでの日本の歴史も学べるものです。
古文や漢文、現代文でも物語を扱う場合は鑑賞するという意味合いで用いられることが多いですが、いまは論文や記事を通して日本の文化を身に着けることにも力を入れられています。
簡単に言うと、日本ってどんな国だったかを知るにはうってつけの科目なのです。
現代文?古文?漢文?
では、ここからは少し具体的なお話をしていきます。
国語には大きく分けて3つに分かれる単元があります。
一つ目に近代的な言葉や字の読み方を用いる『現代文』、二つ目に室町時代など主に貴族が用いていた『古文』、そして飛鳥時代から近代昭和初期まで用いられていた『漢文』です。
時代の流れに合わせて並べると、漢文・古文・現代文となるのですが、漢文だけは長く日本に浸透していた伝統文化ともいえると思います。
セクションの順番に簡潔に説明していきます。
〇現代文
小説や論文、記事を用いた授業が主です。小説を読む人からしたら参考にある資料がたくさん出てくるので、魅力があります。
ちなみに年齢が上がっていくにつれて作者の意図や論文の要約など、私が「好きだけど苦手」になったきっかけがほとんどここに詰まっています。
〇古文
漢文を解読したもので、昔の伝統を感じる読み方や訳し方があるのが魅力です。
特に教科書で出てくるものでは歴史上人物に挙げられる、紫式部や枕草子が書いたものや、今でいうかぐや姫を扱う教科書もあるので、もし教科書になっていなければ、図書館で借りてみるのも面白いかもしれません。
〇漢文
これは、昭和初期の教科書にも扱われていた文体で、古文に書き換える手段が決まっているので、勉強するにはわかりやすいものです。特に今の日本では扱っていない旧字体(旧漢字)について学ぶのにはぴったりです。
小説に生かせることって何?
ではここからが本題になります。
小説を書く人にとって国語はどういう位置にあるか。
それはズバリ『教科書』です。
教科書は数多くの人が集まって資料を集めて、その中で必要なものを抜き出して、紙の媒体にして発行されています。そんなたくさんの人の手を伝って、手元に来た教科書ですが、ついつい落書きをしてみたことがありませんか?
見つかって容赦なく雷を落とされた経験がある人もいるかもしれません。
でも、私はそれも大切な教科書の使い方だと思っています。それは『結びつき』という考え方を支持しているからです。
授業中に板書をして先生の話を聞いていると、どんなに好きな授業でも毎度毎度楽しく過ごせるとは限らず、ぼんやりと手持ち無沙汰を解消しようとします。
その時に一番の対処法が落書きです。
でも後でその落書きを見てくすっと笑えたり、家での復習の時に目についたりしませんか?
そんなテスト当日、分からない問題があった時、ふと落書きのページを思い出し、答えにたどり着くなんてことが起きることがあります。これが『結びつき』です。よく単語や元号が覚えられないとき、何かに例えたり語呂合わせをしたことがあるかと思います。学校でもその覚え方は推奨されていますが、実はこれこそ『結びつき』が学習に向いていることの証明になっていると思うのです。
また、落書きにはもう一つ大事なお宝が眠っています。
それは、“今までの日本の歴史はすべて落書きや偶然から始まっているのだ”ということです。
「またまたぁ。」と思った人は少し思い出してください。
博物館に行ったことがある人は特にピンとくる話かもしれませんが、現代にいたるまでに歴史上大きな発見に至ったものには、壺や服や、中には骨などもあると思います。しかしその中で重宝されているのが、かつての人々が残していった手紙や文献です。
出てきたときはぼろぼろでも歴史を知るうえで、大きな資料になります。
そこには恋文や報告書なんてものもある中で数多くの落書きがあり、それが今の国語という教科を作り上げているのです。
つまり、国語はかつてのたくさんの方々が受け継ぎ手掛けてきた教科書であり、これからたくさんの人が作り上げ受け継がれていく、財産の一つなのです。
日本の文化を国語で学ぶことで、知識だけでなくたくさんの作品や考え方に触れ、小説を書く上での原動力になるのです。
最後に
いかがでしたでしょうか?
国語が苦手な人にとっては、とても楽しいお話になったかはわかりませんが、私が国語を学ぶ上で感じていたことや今の執筆に生かせる物が眠っていたことを痛感しています。
私自身、実は今までの教科書は失ってしまっているので、コツコツ教科書やネットに挙げられている教材資料をかき集めて勉強を続けています。
大人になってからの教科書を眺める時間は本当に面白いし、落書きもし放題なので次の機会にページをめくって一人で含み笑いを浮かべています。
皆さんも、これを読んで少しでも国語に気兼ねなく触れられていたら、国語大好きの私は嬉しいなと思っています。
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