1人なのに違う人?解離性同一性障害の私の生き方【向き合い方編】
前回、解離性同一性障害に説明を記事にしたものの続きです。
この障害との向き合い方【当事者編】
これだけの症状が出て来ると、何もしないまま日常を送るのはほぼ不可能でした。
そんな私がルーティーンとしている工夫についてです。
まずは、細かいメモを作ること。
やるべきことやりたいことは人格の数だけ存在します。
私の場合だと、その日起きた出来事や行ったことをログを記録するように残しておきます。
次に、健康管理を徹底すること。
至って当たり前に思う人もいるかもしれませんが、私の場合は少し厄介です。
一つの車に複数人が乗車していて、目的や状況によって運転者が変わるため、運転する人によって車内環境は様々です。
この体は複数人で使用するものと認識を立てることで、使い方は好転しました。
そして最後に一番大切なことです。
この体が起こしたことは、誰であり責任を負うこと。
例えるならクラスで起こる事件を想定してみましょう。
ある時、Aが花瓶を割ってしまいます。そのショックでAはとっさに友達のBを花瓶の前に立たせます。
そのままBは惨状を知らないまま周囲に怒られることになります。
ここで本来なら「自分がやったのではない!Aがやったことだからそちらに責任を問うことを望む!」と反論して、周囲もAに叱責を向けるでしょう。
しかし、この障害の難点はまさにそこになります。
AもBも一つの体に共存しているのです。
別々に責任は問えませんし、社会に在籍している人物が責任者になるので、最終的に負うのは、1人になるわけです。
周囲は障害や人格のことを理解してくれるとは限りません。
その都度説明をするのもとても労力を使ってしまいますし、やってしまったことが覆るわけでもないので、潔く頭を下げてしまうのが手っ取り早いのです。
この障害との向き合い方【多方面編】
それでは当事者以外の方面からの向き合い方についてお話していきましょう。
もちろんこれがすべて正しいわけではありませんが、当事者目線としてどのような行動言動に喜びや癒しを感じることができたかを主軸にしていきます。
最重要なこと、それは本人たちの話を聞いてあげることです。
本人たちは、障害を抱えて今まで以上の不安を背負った生活になります。
100%理解をしてあげようと気負わないでも大丈夫です。
本人たちは「ここまでなら打ち明けても大丈夫」というラインをしっかり定めていることが多いです。
その範囲内だけでも知っておくだけでフォローのやり方が見えてくると思います。
次に、人格を否定しない事です。
本人の中には常に複数人の人格が共存しています。
十人十色という言葉あるように、人格にも10人いれば10人の心や考え方があります。
もちろん、一対一の意見交換程度であれば問題はありません。
問題になる言葉を例に挙げてみるとこんな感じです。
「演技でしょ?」
「AとBは同じ人なんでしょ?」
人格を無視したり、同一性を求めるのはNG、人格を押さえつけてしまうことになり、必要な時に交代ができなくなったり、人格がほかの人に成りすまして痛みを被るようになるので症状の悪化を招くことがあります。
いわば、常時防衛システムが働いているようなものなので、不用意な人格の欠損は命取りになることがあります。
(※前記事参照)
そして注意点として、誰でもすぐに出てこれるわけではないという事です。
私自身もいろいろな方に自己紹介をする際に、必要に応じて障害を取り上げることがあるのですが、時々対応に困ってしまう方がいます。
「そうなんだ!!じゃ、Aさんだしてよ。」
「今変わってみてよ!!」
この言葉には、私はオブラートに包んで「危険なので」とお断りの言葉を返します。
私にとって、顔を合わせて間もなくの方に人格の交代を見せるということは高速道路の運転中にドライバーを変えるようなものです。
そして、必ずしも他の人格が運転を変わってくれるわけではないという事です。
そう考えると、ゾッとしますよね。
この考え方には個人差はあると思いますが、そう簡単にコロコロッというわけにはいかない難しい障害なのです。
まとめ
2記事にわたって長く取り上げてきた「解離性同一性障害」は、人それぞれ症状も大きく異なります。
そして、起きた症状を当事者が記憶できていないという難点もあり、症状を発見できるのが当事者以外ということも多々あることから、周囲の目配りが早期治療に大切になってきます。
そして、ここでお話しした症状がすべてこの障害に関するとは限りませんので、専門の医療機関に問い合わせてみることが必要です。
もし、友人や家族に同じ障害を持っている方がいたら、手を伸ばしてあげてほしいです。
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